東京では今あちらこちらで再開発が行われている。基本的には3、4ブロックぐらいのところを全て潰して、その間に走っていた道路も無くして特大の超高層ビルを建て、1つの街区として再開発するような感じだ。
最近完成したものだと麻布台ヒルズがわかりやすいだろうか。もともと住宅街だったところを丸ごと買い上げて一つの商業施設にしたわけだ。少し前だと六本木ヒルズとか、恵比寿ガーデンプレイスとか。 都心のど真ん中でなくとも有名どころだと小岩が周りの商店街を全て無くしてビルやタワーマンションにしようとしている。
治安が良くなる ということ。安全になる ということ。
再開発は大きく分けて2つの場合がある。
- 工場などの跡地をまとめて開発する
- たくさんの細かい土地をまとめて一つにして開発する
特に最近増えているのは2つ目の開発のパターンだ。都内で1台、2台しか止められないコインパーキングを見たことはないだろうか?あれらは基本的には隣の建物がなくなって一帯として全体を開発できるようにするため何も建てずに待っているのである。
さて、この2つ目のパターンには多くの場合自治体が噛んでることが多い。これは主に2つの理由で自治体が噛んでくる
- そもそもそこに自治体が所有する土地があり、その土地と隣接部を一帯としてまとめて開発する
- 地域の防災・治安の向上・にぎわいの創出の観点から再開発を行う
特に東京では2つ目の圧力がものすごく強い。これらについて私が観測する範囲で起こっていることをまとめておく。
防災上の観点
地震が多い上に首都直下型地震は確実にやってくる。そのためにまず東京は幅員6m以上の太い道を通しその通り沿いの建物は地震が起きても道が塞がないように厳しい耐震基準で作られ、基本的にはビルになる。防災生活道路網という形で街の周囲も太い道で囲み、ダメージを小さくしようとしているのだ。さながら第3新東京市のようだ。
スカイツリーから木密地域(比較的古い木造住宅が密集している地域)とされる京島方向を眺めると太い大通りが一本街の真ん中を突き通すように通り、その通り沿いにビルが立ちそこから少しずつ開発が進んでいく様子が見て取れる。
この写真左側にある白い壁のような団地は白鬚東アパートという団地で、もともと関東大震災の際京島地区が木密地域であるが故に大火事が起きてしまい、隅田川に多くの人が飛び込んでたくさんの死者を出してしまった。その教訓をもとに防火壁として作られた特殊な団地なのだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%AC%9A%E6%9D%B1%E3%82%A2%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88
命を救うために必要ですという話になると他の何ごととも比較衡量できない上、地震だと自分が生きているうちは大丈夫みたいな話もできないので用地取得に対し強固に反発できないのだ。築地はこの部分が一番効いて再開発になったとのことだ。
治安
この話もよく出てくる。小岩のケースでは一番出てきたのではないかと思う。詰まるところ、アーケードでもない小さな居酒屋や商店が集まってくるとそこにガールズバーの様な風営法で取り締まれない接客業が入り客引き行為が横行する。細かい路地などがそう言ったものを助長した結果“犯罪件数”が増えているので再開発で減らしましょうという話だ。
近年の特に東京都市部での治安維持というのは基本的には犯罪が起こる機会自体を未然に消滅させようという方向性で行われる。街の至る所に設置されている防犯カメラはもちろん犯罪が起こった時に迅速に捜査ができるという機能もあるが、名前の通り防犯という機能の方が大きく、防犯カメラがあるので犯罪をする機会が減る、期待値が減るということの方が設置意義としては強い。他にも私の近所の橋の下には昼間ではないかと思うぐらい煌々としたLED照明が多数設置されてきている。明るくしてしまって犯罪機会自体を消滅させようということだ。
これも防災と並び結構説得的で犯罪件数のような具体的な数字で他の地域での再開発の成果を主張してくるのだが、私はこれは懐疑的なというか危険な主張だと思っている。
まずそもそも治安という概念を犯罪件数みたいなので測っているのがよくない。治安という言葉を聞けばいい方がいいに決まってると思ってしがいがちだが、日本が過去に“治安”維持法という法律でいかにひどいことをしてきたかは全員が知るところだし、他の国でも治安という言葉の暴力性は明白だ。
では治安という言葉は少し抽象的すぎましたということで、刑法犯の減少を目指しますという話になるのだが、じゃあそれは犯罪をしたくなる様な街を潰して綺麗にして警備しましょうでいいのだろうか。いや、そうではないだろう。街を変えるのではなく、福祉的なアプローチで犯罪機会と向き合うべきである。人間の内的な犯罪欲求と、街自体が生む犯罪機会がありこの均衡点の移動で犯罪が起きたり起きなかったりするという話なのであれば、自治体はまず持って人の内的な犯罪欲求と向き合い対処すべきだ。なぜそこで街自体の変数を減らし監視を容易にすることで押さえつけようという暴力的な方向に行ってしまうのだろうか。
にぎわいの創出
この再開発の文脈におけるにぎわいの創出は主に2つの観点から実現可能であると主張されることが多い。
単位面積あたりの人口の増加でにぎわいの創出
すごく安直に言えばでっかいビルを建てて昼間人口を増やしかつ、でっかいタワーマンションを建てて人口自体を増やせばその下にある街はにぎわってくるに決まってるという話だ。 企業も誘致できれば法人住民税も入る。高層ビルを建てることで固定資産税も入る。ビルにすれば賃料も上がるので全体の単価も上昇するだろうという話。
人流を変化させることでにぎわいの創出
これは駅前開発じゃない時に語られることが多いが、今まで地域に人が来なかったところに、目玉となる商業施設をつくれば人がやってくるだろうという話だ。商業施設として広報し、そこに地域独自のお店を入れてあげれば地域産業の活性化にもつながりますと。これをやるとよく聞くイオンができて地元の商店街が閑古鳥みたいな話になりそうだが、先述の通り東京の場合駅前の商店街や住宅街を取り壊して再開発する場合が多いのでコンフリクトはそこまでない様な気もする。ない様な気もするが、最近の中野の駅前開発は地元商店会はどう思っているのかちょっと気になる。ショッピングモールじゃないから特に問題視してないのだろうか?
さて、にぎわいの創出というのは本当にあらゆる場面で目にする。
https://project.nikkeibp.co.jp/atclppp/122100007/010900033/
しかしこれはまさに自治体や不動産会社の傲慢さが溢れ出ている概念だと思う。もうこの言葉はあらゆる場面で使っていて聞き飽きたかもしれないが、にぎわいの創出なんていうものも本当に小さなインクリメントを積み上げてやっとこさ出来上がるものなのだ。地域の人の生活を一旦引き剥がして大きなマンションを作り元の家より小さな面積で与え、設計されたプライバシーの守られた箱の中に閉じ込め部屋の外は全て不動産会社による管理が行われる。道端での小さな菜園や少し道路にはみ出た商売を許容することなく契約に基づき賃料半年分の保証金を払える業者にしか利用を許さないという形で一体何が地域のにぎわいの創出なのだろうか。
巨大なオフィスビルを建てて、路面には何の店舗もない。あるとすればコンビニエンスストアだけでどう地域が賑わうというのか。
いやいやもともとあったお店はビルの1階ー5階部分に入居していただきますというが、その上に30階分の自分達が一切立ち入ることが許されない巨大空間を置いておいて、それでいや地面は自分たちの街と言えるのだろうか?渋谷を歩いてそう言えるのか。言えないだろう。小さな店舗を壊してでかいビルを建ててもnone of my businessな空間がただただ広がっていくだけなのである。
人間の寿命より長いものを作ってしまう危うさ
大規模な再開発を行えば、もうそのビルは60年は壊すことができない。途中でどんなことがあっても引き返せず、値引きすることもできない。汐留の様になってしまうのだ。
人間の現役と呼べる期間を大雑把に20から60と仮定すると、40年間。それを超える期間のビルを建築してしまうということは、街の新陳代謝をなくしてしまう。街を有機物から無機物に変えてしまうということなのである。当然、開発業者側にも自治体関係者にも当時の開発者はいなくなる。住民側もその土地を故郷として意識する人は減ってくる。行き着く先はどの町に行ってもユニクロ無印マクドナルドにスターバックスの基本ルーティンに、ワールドかどっかが展開しているブランドのどれか。和光でとんかつを、日本一で焼き鳥を買ってかえるみたいな流れに収束していくだろう。
規模を大きく、期間を長くすることで街は個人私人から引き剥がされ、永遠の命を持つ法人のものへとなっていく。法人というもの、特に不動産関係の巨大な法人というものはもはや誰にもコントロールできないある種の意志を持った存在だ。社長がどうこうすることもできない。誰かの意思でどうにかすることもできない。AIができるずっと前からある人間を超越した意志を持った存在なのである。
そんな法人のものとなっていく東京が上記3つの合理的とされる理有で再開発されていくことが残念でならない。