身もふたもないわがままな話。相談に値しないほどどうしようもない問題。そんなことを世の中の人はどのように解決しているのだろう。 いや、解決しない。どうやってバランスをとって生きているのだろうか。 それはもしかしたら推しのアイドルに夢中になることかもしれないし、ゲームをすることかもしれないし、仕事に熱中することかもしれない。家族と向き合うことかもしれない。 バランスしていると一言に言っても様々な形がある。両足で立ってる人もいれば両手で皿回しをしながら片足て立っている人もいる。 地に足ついた なんて言葉、ある意味でバランスしている自分には関係ないと思ってきたが、本当にちょっとしたことでバランスを崩してしまってやっとその意味を噛みしめることになる。 1月末にコロナになってしまい10日間寝込んだ。うち7日間はほぼ完全に横になっていた。それぐらい症状はあった。 だけれども幸いなことに咳などの後遺症は残らず、きれいに治ったと言える状況だと思う。 どちらかというと響いたのはその7日間ずっと考え事をしてしまったことだ。 こう書くと、そんな考え込みすぎるのはよくないよ という言葉をかけられると思うが、そうではなくただただ現実を直視しただけだ。 “現実”を直視した結果私の生活は半年持たない。何なら5月の家の更新までに引っ越さなければならない。 そして、仕事を探さなければならない。さらにその仕事をするためにはある薬を飲まないとなかなか厳しいというのが現実だ。 しかしながらそんな現実を確認しても全く動く気になれない。なんでだろう。 危機感が足りないとか、結局のところ生活は何とかなると楽観視しすぎているとかいろいろ理由を考えたが、 多分だけれども私はそんなことよりも自分が生きていく居場所を自力で見つけ出したいということに注力しているからだという結論に至った。 自分の存在証明をしなくていい。自分の表現で、その表現自体が私に居場所を与えてくれるような状態になりたいと心から願っていて、 その表現手段が私の場合は写真だったということなのだと思う。 結局のところその居場所が仕事で与えられても、それは私を少しも救わない。 学歴が付いたとしてもそれも私を何一つとして救わないのだ。
