東京都写真美術館にて開かれている「アレック・ソス 部屋についての部屋」を見に行った。

東京都写真美術館エントランス 久々の東京都写真美術館

コンセプトなどは各メディアに書かれているのでそちらに譲り、感想を。

アレックス・ソスの展示を見るのは初めてで、とにかく画質の良さに驚いた。大判カメラで撮られていると最初のキャプションにかかれていたが、写実性を超えて実存性があった。インクジェットプリントで大きく印刷されているのだが 人物写真でこれほどの実存性を感じたのは初めてだった。

私は以前書いたようにちょっと画質に対してこだわることに懐疑的な考え方を持っているが、相当揺さぶられるものだった。

写真はやっぱりきれいであれば目を引く。目を引くためにいろいろSNS上で小手先のことを私はするが、そんなことをすべて吹き飛ばすほど圧倒的なきれいさだった。 これは昨日の話と同じであれだけれども、ミュージアムショップで見た写真集では伝わってこないものだった。

サイズが小さいと、画質が良くても悪くてもそこまで差にならない と頭で思っているので、仮に差があったとしても圧倒するほど直感的に感じさせるものにはならないのだ。 実際差は小さくなると思う。

私は基本的にSNSに掲載するための編集をしているので、Lightroom経由で最後iPhoneで色を確認して出している。当然見ているサイズは小さいので、その中で許容されている荒れがたくさんある。 そのまま大判にプリントしたら見られないだろう。

最終的にどのメディアで発表するのかに合わせて写真の編集や撮り方、機材まで変化してくる。今回は画質をよくすることでどのような力を持つか痛いほど伝わってくる展示だった。 そして、その力を手に入れてみたいと思ったが、大判カメラで私の今のようなスタイルの撮影は厳しい。

もう少し何とかならないか、何とかバランスする点がないかを模索してみようと思った。

あと、印刷をもっとしてみたいと思ってしまった。色の調整などを考えると外注してトライアンドエラーを続けるのは難しい。どうしても手元にプリンターが必要になる。 しかし、一度でもプリンターを買ってしまえば紙代、インク代含めものすごい金額になってしまうだろう。大判にプリントするとなればなおさらだ。 あまり金銭的理由で行動を変えるのはよくないが、いくらなんでもお金がかかりすぎてしまう。

もう少しSNSで数字を獲得し、小さなサイズ、それこそ昨日見たような色紙サイズである程度売れるようになってから印刷には手を出したいと思う。

それにしても、大判プリントはあこがれを抱かせるものだった。空間の支配力があった。圧倒的だった。

で、ちょっと細かい話なのかもしれないが、新宿のパークハイアットのシリーズについて。今回の展示会のカバー写真はパークハイアットでの自撮りだ。 ロスト・イン・トランスレーションをモチーフにしたとあり、キャプションにも書かれていて、さらにキャプションにロスト・イン・トランスレーションとは違って部屋から出ずに部屋に訪問してもらう形にしたとあったが、さすがにそれは真逆すぎてパークハイアット以外共通点がないのではと思ってしまった。 インターネットで知り合ったゲストを部屋に招き撮影とあり、さらにそれをソス自身は偏った日本のイメージと自認しつつ「東京を体験している自分」を写したかったと語っているが(https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/alec-soth-tokyo-photographic-art-museum-report-202410)パークハイアットという外資系ラグジュアリーホテルに招くというのは観光よりもさらに先鋭化された”収穫”という暴力的側面が否めないのではないかと思ってしまった。 もちろん、私の写真含めて写真は収集的意味合いがありある種の暴力性を持つものなのだが、それにしてもではないか。

ミュージアムショップにはNewMoonScreen2が

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目黒区役所と丸い高級マンション 目黒区役所からの眺め。中目黒といえばあの丸い高級マンションとうるさい高架下のイメージ