久々に1時間走った。 走ったといっても早歩きに毛が生えた程度の速度だけれども。
いろいろ考えてしまう。
本当に好きなことならずっと続けてるよね という話をよく聞く。
だとすると、今写真が撮れなくなっているのは”本当に好きなこと”じゃなくて、写真は単なる手段でそこから例えばお金を儲けたいとか、 人から注目を浴びたいとかそういうことが目的になっているから撮れていないんじゃないか。
みたいなことを考えてしまう。
あと、向いてないんじゃないかみたいなことも考えてしまう。
隙も何もこれしか手元に残らなかったという感じだから、じゃあこれ無くなったらもう何もしなくなっちゃいますよってことなんだけれども、 それは”好きなこと”をやっているわけじゃないのだろうか。
これならできる ということを極めるのも一つのルートだとは思うが、好きな人には勝てないのだろうか。 いや、勝ち負けじゃないのだけれども。
止められてもやるようじゃないと駄目なのだろうか。
あまりあれもダメこれもダメというってもしょうがない気がしてきている。 あまり考えても仕方ない というのは究極の現実逃避だと思っていたが、考えても仕方ないことが増えてきている。
結局のところ出来上がったものが自分がいいなと思う物であればいいと思うのだが、どうなんだろう。 自分がいいと思うものと数字は乖離していく。
今回のお正月の動画、全然数字がよくなかった。
いやあ、でも悪くないと思うんだけれどもなあ。ただ写真がなあとは思う。ただ1カットいいのがあった。
正直、写真って1カット良いものが月1枚上がればそれでいいのではと思っている。 だけれども、構成上というかSNSの性質上というか、かなりの枚数をあげることをもとめられている。これがちょいきつい感じもする。 動画もそう。週1最低となるとぐっと負荷が高まるし、そんなに毎回良かったなというわけでもないけれどもあげなくてはならなくなる。
だけれどもそこはプロになるなら突っ張らなくてはいけないところなのかもしれない。
いや、どうなんだろう プロになる みたいなことを考えすぎなのかもしれない。 ただ考えないのもおかしいし、難しい。
それだけができていればなんでもいいや と思える そこまでたどり着けるのだろうか。いや、もうたどり着くしかないのか。 そこは意識してもう行ってしまうしかないのだろうか。