作家を目指す ということは言おうと思えばいえる。 目指すというか、作家ですといえばもう作家である。

ただこれが写真の場合はちょっと難しいと感じる。作家ですというために必要なものがあるような感じがしてならない。 そして私は作家を目指すべきなのかどうか少し難しい。べきというか、したいというか。

写真はまずこの定義もあいまいだが写真家とフォトグラファーに分かれている節がある。 クライアントワークを主とするフォトグラファーと、クライアントワークではない作品作りをする写真家。

フォトグラファーで活躍した人が写真家として作品を発表することもあるし、写真家として活躍した人がクライアントワークをやることもあるが、 どちらに軸足があるかで結構印象が変わると思う。 本当にごく一部を除いて、基本的にはフォトグラファーをしつつ、作品発表を行うという人が多いのではないか。

自分の写真を振り返ると、これは作品として呼べるのかどうか非常に悩ましい。

もちろん自分がいいと思って出したもので、特にSNSに上げているのは気に入ったものかつ、それなりに時間をかけてレタッチをしたものだ。 レタッチといっても色調整やジオメトリの調整だけで、何かを合成しているわけではない。

しかしそこに何か主張したいものがあるのかというと、そこまで主張したいものを撮っている感じもしない。

何か感じるところがあって取るところまではいいのだが、そのあと組み写真を作るなり何なりして、主張を織り込むステップがあるべきなのではないかと最近思う。 何らかの主張、伝えたいことがあって初めて作品と呼べるのではないか。そうではなければ記録に過ぎないのではないか。

記録に過ぎないといっても写真は記録性から逃れることはできない。現実の出来事を写すという点で必ず何らかの記録になる。

なので撮影して公開すれば「こういう光景があってなんかいい感じだね」ということは伝えられるのだ。 これは写真の大きな力だと思う。

しかしながら、「なんかいい感じだね」というビジュアル的なものだけだと、それは作品と言えるのだろうか。 ちょっと観光写真というか、記録写真すぎるのではないかと最近感じるようになった。

写真を撮りためていく。無意識でもいいので何か感じるところがあったところでシャッターを切る。 それを見返しながら考えをめぐらす。そして、写真からにじみ出てくる主張をつかみ取り、必要があればレタッチをするべきなのではないかと思うようになってきている。

何を主張したいのか。それがなければ作品にはならないのか。そんなこともない気はするが、それが必要な感じもする。

それを考えねばならない。

一枚一枚の写真についてこれはこういうことかなと考えるのと同時に、その展示全体を通して、その雑誌・シリーズを通して、作家としての作品全体を通して それぞれの抽象度で考えなければならない。

では私は都市に何を見ているのか。

光と影を撮っています!みたいなのはあって、もちろんそれはそうで、その美しさみたいなものはあるけれども美しさを伝えたいという感じはちょっと薄い気もする。 むしろ幾何学的美しさから少し外れたところを撮ろうとしている感じがある。

幾何学的美しさを撮るのであれば、でかいビルに行って建築家の作った美しさを撮り続ければいい。それも嫌いではないし、西新宿の写真は今でも撮りに行きたくなる。

しかしなんだろう。そのつくられた、完璧に設計された美しさよりも、偶発的にできた光景に面白さを感じる。

それを「東京有機」では「無機物の塊であるはずの街に有機性を感じることができる」という言い方で表現をした。 しかし、それではあまり伝わらないということらしい。らしいし、もう少しこう、社会に通底するメッセージとしての打ち出しをしたい。

単純に言えば再開発反対とか、生活感が染み出してきているのを撮りたいみたいな話な気もするが、なんかしっくりこない。 これらはかなり重要な部分をバッサリ切り落としてしまっている感じがある。

例えば工事現場の写真にも私は何かを感じるし、レインボーブリッジのふもとの写真にも何かを感じる。

築地には魅力を感じたが豊洲には魅力をあまり感じない気もする。

スカイツリーの見える京島の光景には面白さを感じるが、麻布台ヒルズが見える虎ノ門の光景にはあまり興味がわかない。

団地には興味を感じるし、タワーマンションが立ち並ぶ光景にも圧倒されるが、吉祥寺の住宅街にはあまり魅力を感じない。

東京の街並みはいくらでも歩くことができるが、厚木の街を長距離歩くのは苦痛な感じがする。 もっと言うと世田谷とかもどうなんだろう。あまり足が向かない。

東京の東側にいたせいか、東京の東側に魅力を感じるが西側には感じていない。 どちらかといえば東側の方が殺風景であるはずなのに。

こういうと下町が好きなのか?と思うのだが、なぜ下町が好きなのか。生活感のしみだしという意味では、 西側の住宅街こそ生活感であるはずなのに。

故郷の発見みたいなところに興味があるのかもしれないが、それがどうしてこういった写真になっているのだろうか。

東京に限っているが、東京に限らないのかもしれない。

スナップする以上の何があるのか。

都市論みたいなものから入っていくべきなのかどうか。いや、出来れば自分の写真を眺めていて湧き上がってきたものがいいだろう。

どうするべきか、かなり悩む。