2024 12 23 夜歩く予定

今日は久々に歩くことにした。1か月ぶりぐらいになってしまった。 防寒着を新調したので少し楽しみだ。 ただ、やっぱり人とすれ違うことにまだ抵抗感がある。 そのあたり、動画の中で少し考えたいと思う。 いや、そんなこと言わないほうがいいのか?ここで書いた方がいいのか? 編集しながらそれは考えようと思う。 歩く日は多めに白米を食べないと体温が低くなってしまう。 意外と単純なんだなと思う。 食事の回数を1回多くして食べておくと結構いい感じだ。 それにしてもこれをコンスタントに続けてる人がいるのは本当にすごいと思う。 体力がつけば苦でもなくなってくるのだろうか。

December 25, 2024

2024 12 22 厳しい

いろいろありすぎた。 やはり体調の悪い日にあまり人と会うべきではない。仮に話の内容が普通だったとしても結構きついんだと思う。 今回は内容的にも相当きつかった。 もうあまり振り返りたくない。 3人を超えると結構厳しいんじゃないかと思うようになった。 3人を超えたあたりから、会話を回さなければならないという感覚が出始めてくる。 別にそんなことしなくていいんだけれども。 あと、会話に入りにくくなってくる。 とたんに会話の内容が具体性がなくなる気がする。 もちろんコミュニケーションってそういうことで、別に会話の内容が無くてもいいのだけれども、そのちょっとこう 空回りしている感じの会話に寂しさというか空しさというか、何かを感じてしまう。 結果的に余計なことを行ってしまって失敗することが多い。 あと、はじめましての人はしばらく避けた方がよさそうだ。自己紹介がきつすぎる。

December 25, 2024

2024 12 21 冬至

冬至だ。 冬至らしさはスーパーのかぼちゃで味わった。 冬至は一番短い日であって、日出日の入りの時間が一番早い、遅い時間ではない。 日出はまだあと20分ぐらい遅くなるので、終電後、東京の撮影はまだ少し長くなる。 長くなる分には全然大丈夫なのだが、遅い時間になると通勤ラッシュ時間にあたってしまうのが問題だ。 冬至といえばかぼちゃと後何だったか。ゆず湯か。 そういえばゆず湯に入っていた気がする。菖蒲湯も入ってた。 あれは本当に贅沢だったんだなあとつくづく思う。

December 25, 2024

2024 12 20 岡本太郎

岡本太郎の『きみは自由に生きているか』を読む。 なんだかいろいろ言い当てられてしまってる感じがする。 それだけ普遍的な悩みということなのかもしれない。 なんだかいろいろなものが症状だといわれすぎて、どれが普遍的なものでどれが症状なのかがわからない。 結局のところ本人が困っていなければ症状ではないわけで。 でも困っている。でも困っていることがすべて症状とはならない。必要条件と十分条件。 とりあえずこの腰痛と、重いものを持った時の右の首の違和感は治ってほしい。 それとも、この痛みもまた“精神的”なもので、撮影から逃げるための細目の一つなのだろうか。

December 21, 2024

2024 12 19 のどの痛み

鼻の奥というか、のどの上の方が痛い。 痛いといってもそこまでではないが、いやな予感がする。 初めてコロナにかかったときも上の方がいたいなと思ってから段々と症状が下の方に降りてきて最後熱が出たという感じ。 しかし最近聞いた話では、ストレスでのどが痛くなったり鼻の奥がいたくなったりすることもあるらしい。 ストレスで免疫が下がってしまうということもあるし、実際にストレスで痛くなることもあるとのこと。 ストレスでお腹が痛いぐらいはなんとなく経験的にわかるが、それ以外の症状までストレスが直接的な原因となったら、 もう自分の体のあらゆるセンサーが信じられなくなってしまいそうだ。 一昨日混んでるランチの時間に食事したことが祟ったかもしれない。 痛みとしては結構ある方だったのでこういう時は少しでも薬になればと思って末広町にある生姜焼きを食べに行く。 年に2回ぐらいの贅沢だ。 ここの生姜焼きは本当においしい。おいしいのだが、これで1600円ぐらいする。 薬だ と思って食べに来ないとなかなか。おいしいのだが、おいしいというよりも薬だと思って食べる感じになる。 いや、おいしいでいいのかもしれないが、なんとなくそこがすっと入ってこない。 本来であれば食料を自分で作れという話かもしれないが、食事ぐらい自分で作れるようにしたいという気持ちがあるのかもしれないとふと思った。 そして、食事が作れない家は果たしてそれでいいのかという気持ちも。 いや、でもそれは結局のところ今の現状からの逃避かもしれない。 そうやって環境を変えてはリセットし、変えてはリセットしを繰り返してきている。 別に今の状態に固執する必要がないとは思うが、変えれば変わるという話でもない。 それに結局都内のそれなりの場所で今より低い予算で探すことになるので、また一口コンロ確定なのだからあるもので何とかするしかない。 相変わらず睡眠が安定しない。薬を少しずつ切って調整するけれども、ちょっと今回は長引きそうだ。 早く腰痛が治ってほしい。

December 21, 2024

2024 12 18 少し歩く

歩いているときはそこまで痛くなく、座ったり寝たりすると痛いので少し歩いてみる。 四つ木の川べりを歩く。ここはグラデーションがきれいだけれども、今日はちょっと微妙だ。 海まで8kmらしい。 前も少し書いたかもしれないが、海沿いで育ったせいか水辺が好きだ。出来れば海の朝焼けとか夕焼けが見えるところに住みたいが、 東京では海はこの上ない贅沢品となってしまった。 港区、晴海、お台場、海沿いはどんどんと埋め立てられ、拡張された土地にとんでもない価格のタワーマンションが立ち並ぶ。 もともと都会では日当たりがいい家は高いという話があったが、そのうち空が見えるのも贅沢になるのではないか。 自然界の森のように日を求めてビルは伸び続け、地上には日陰とともにつめたいビル風が吹くばかりだ。 以前冊子東京有機の中で書いたが、やはり自分が立ち入れない無関係な空間が目の前に20階、30階広がっていると、この街は余り自分に関係ない場所だなという感じがしてくる。 これは低層階に店舗を入れても余り印象としては変わらない感じがする。 もちろん無関係さでいえばビルじゃない普通の街だって自分が立ち入れない店でいっぱいなのだが、過ごしている人の圧倒的割合が自分の立ち入れない場所で過ごしていると思うと なんとなくうすら寒いというか、なんというべきか。 ビルで働いている人も、基本的に街に”降りてくる”という感覚になるだろうし、出来ればビルの中で全部済ませてしまいたいと思うのではないか。 街にを散策する余裕もないか。 少し話がずれたが、空が広い場所はこのぐらい離れたところまで来ないとなかなかない。 あとはすき間から空を覗き見る場所ばかりだ。 やはり私には都市はもう限界なのだろうか。 でも、都市から離れたら「都市にはいろいろとるものがあっていいな」とか言っていそうだ。 いや、そしたら戻ってくればいいという話なのかもしれない。 結局のところ私自身都市の価値観に染まりきっていて、捕らわれ搾取されるのを待つばかりなのかもしれない。

December 21, 2024

2024 12 17 痛み止めと睡眠時間

痛み止めを1日2回までとされていたので、2回飲んでみる。 あと併用していいといわれた湿布もフルに使って寝てみると、13時間以上寝てしまった。睡眠が安定しない。 いや、ここはポジティブに今まで痛みでちゃんと練れていなかった分が寝られたと考えるべきだろうか。 サイゼリアに行く。ランチのパスタとドリンクバーで600円。結構高くなった。 パスタは自分で作ったほうがよりアルデンテに作れるから好きだ。 だけれどももう1年以上料理をしていない。 1口コンロでそもそも難しいというのもあるのだが、いつの間にやら気力がなくなってしまった。 その余裕がなくなってしまったともいうべきなのだろうか。継続的にやらないと材料が無駄になったりするのでなかなか踏み切れない。 しかしこれ以上“余裕”がある状況もなかろうと思うが。 1年前か2年前の確か12月だったか1月、年末年始だったと思う。 調子が悪くて内科に行ったところ多分ストレスじゃないですかといわれ、「もう限界じゃないですか」といわれた。 しかし、もうこれ以上何もしないことはないのだ。もちろん何もしないことが必ずしもストレスフリーというわけではないが、 これが“限界”だった場合、私の医学的に見た平穏な状況とはいったいどこにあるのだろうか。 やわらかい日本人ごのみにアレンジされたパスタを食べる。おいしい気がする。しかし、また作れるようになりたい。 いや、なりたいというほどなんというか、前向きな感じなのだろうか。よくわからない。 おいしいものが食べたい。これもおいしいけど。

December 21, 2024

2024 12 16 腰痛

この2週間腰痛がひどい。かなり睡眠に影響が出ているし、普通に日常的にかなりストレスがかかっているみたいだ。 多分精神的にかなり参ってるのも常に腰痛が付きまとっているからじゃないかと思う。 歩いていると楽なのでとりあえず歩く。 今日はコールドムーンと呼ばれる満月らしい。 東京タワーに向かって歩く。 ずいぶん前に読んでいた東京ティッシュというブログを思い出す。 少し切ないと言ったらちょっと余りにも簡単な言葉で表しすぎている感じがするが、すごく余韻がある素晴らしいブログ。 東京に住めばもっと東京タワーを見ることがあるのだと思っていたけれども、あまり縁がない。 六本木とか麻布とか虎ノ門の方に全く縁がないからだと思う。 あと、建物が沢山建ったというのもあると思う。 東京という街に対して違和感を感じ始めている。シャッターが切れなくなってきている。 これはいつもの現実逃避なのだろうか?東京という街で写真を撮ろうと決めて1年、もう逃げようとしているということなのだろうか。 それとも、やっとそこに気が付いたんだねという話なのだろうか。 ワンパターンな感じがしている。歩いてもどこも同じに見えてくる。 でもこれは多分、昨日と今日と明日の違いが判らなくなってくる前触れ。 本当はもっといろいろな発見があるのに、視野が狭くなってきてしまっているんだと思う。 で、それは腰痛が原因なんじゃないかという話。 同時に腰痛が原因であってほしいと思う自分もいる。そういった、わかりやすい要因であってほしい。 解決可能な(腰痛が解決可能かどうかはわからないが)物であってほしいという願望がある。 そんなことを思いながらひたすら歩いて寝て起きたらリハビリに遅刻してしまった。痛みがひどいので少し睡眠薬を多めにする。 普段は半分に切って飲むところ、2/3ぐらいに切って飲む。それだけでとんでもなく長く寝てしまう。 当然注意される。 あーまた睡眠周りで人に迷惑をかけてしまったなと思う。必死に避けてきたのに。 やっぱりもう当面”社会復帰”みたいなのは厳しいなあとうっすら思う。 いやいや、これも腰痛が収まれば何とかなるはずだと言い聞かせる。それともこの腰痛も精神的要因なのだろうか。 東京ティッシュを見ながら自分のブログを見返す。ちょっと具体的な問題に目を向けすぎなのではないかと思う。 もう少し抽象的にとらえていればいいのではないか。 でも視野が狭くなるというのはそういうことだなとも思う。 どうしようもないかつ、自業自得な問題が積み重なると視野が狭くなる。そんなことはもう経験上わかっているのに、どうしようもないからどうしようもない。 本当はどうしようもなくないのだろうか。それなりに分解を試みるが、あまりうまくいっていない。 このままいくと何をどうやっても何らかの症状が出てきて向き合いきれないということになってしまう。 もうかれこれ15年近く”治ってない”ことになる。もうどれが症状でどれが症状じゃないかわからなくなっている。 他者による定期的な観測がほしいが、そんな贅沢は言えない。つまらない話だといわれてしまう。そこで日記なわけだけれども、機能するだろうか。

December 17, 2024

2024 12 15 カレー

松屋のカレー食堂というのがあったので、初めて食べてみる。 ミルフィーユかつ、欧風カレー、野菜で1000円ちょっと。少し高いなと思ってしまう。 カレーは(もちろん自分で作るのとお店は単純に比較できないが)おいしいルーがたくさん売られているし、レトルトカレーはもうお店そのものなので、お店で食べなくなってきた。 インドカレーでナンがついているとついつい食べに行ってしまうが。特にアロマオブインディアのランチセットでカレー一種、チキンティッカ2種つきでライスお替りし放題のBセットが1300円ぐらいですごくおいしい。 健康のためだ と思って野菜を入れたけれども、なとなくキャベツとか葉物を食べないと野菜を食べた気はしないなということにも気が付いた。 辛さは3辛にしたけれどももう少し辛くても大丈夫だった。 欧風カレーはベースがあってそれが出汁みたいな感じのおいしさがあるから好きだ。 出汁文化が一番現れているのはラーメンだと思うけれども、ラーメンはスープを残さないと(健康的には)いけないので、なんかもったいない気がしてあまり食べに行けない。 その点カレーは全て食べることができる。 食べ終わる。やっぱりちょっと高いかなあと思ってしまった。 多分、今の私はどんなにおいしくても1000円超えたら高いなあと基本思ってしまうんだろうと思う。 このお金があったら、こんなことできたのにとか思ってしまう。 でもそう思うと、もう何もできない。 これを原動力にいっぱい稼ぐぞー とか思うのが健全なのだろうか。 どう折り合いをつけるべきなのか。

December 17, 2024

2024 12 14 ユニクロに行く

寒い。寒いので服を買ってしまう。 ユニクロでヒートテックのズボンが割引だったので買ってしまった。 ヒートテックは動いているときに着ると必ず大汗を書いてしまうので基本は着ないのだが、普段着にはすごくいい。 ただ、タイツとかは常にあったかくて体がだるくなってしまう感じがする。 少しダボっとしたズボンでヒートテックで裏地が起毛だといいなと思ったらぴったりのものがあった。 アウトドア仕様で裾を絞れたりベルトがもう入ってたりする。これは楽。 ユニクロの服はこれなら来年も再来年も着れるからいいよねと思って買うのだが、大抵よれよれで着れなくなる。 ただ、よれよれで着れなくなるというのはあくまで主観で、別にそのあたりを気にしなければ”機能性”として着ることができるのだろう。 服に対して全然こだわりがないつもりではあるが、そのあたりは無意識に気にしてしまっているのではないか。 それはそんな悪いことではないか。 それもまた健康な感覚の一つなのだろうか。 服はいいなあと思うものがあっても基本高くて買えない。じゃあ似たようなやつを探すかと探すとやっぱりなんか全然違うなと思う。 それを繰り返すことになるので、服を欲しいと思うのをやめてしまった。 これは”不健康”なことなのだろうか。

December 17, 2024